Ritsu Otsukaのブログ

留学前の下調べと留学中の記録です

アパルトヘイトの目的

こんにちは。

 

昨日アパルトヘイトが具体的にどういう政策だったのかその内容について書いていきましたが、今日はなぜ起こったのかについて書いていきます。

 

確り歴史から見ていくと、

まず1652年にオランダのオランダ東インド会社(なんと世界初の株式会社)が現在のケープタウンに入植し、補給基地としてケープタウンを建設しました。

鎖国時代、長崎の出島とオランダの貿易の中継地点にもなっていた)

 

これによりオランダ人がこの地に入植し始める。

(白人であるオランダ系移民=アフリカーナー

 

しかしその後、イギリスが金やダイヤモンドを獲得するためこの地を侵略(ボーア戦争

オランダ系独立国は征服され、1902年にイギリスの植民地となる。

 

そして1910年、イギリスの自治領南アフリカ連邦が成立。

 

人口のごく少数を占める白人が黒人を強制的に支配する政治体制を敷き、翌年には政治的主導権を握っているイギリス系白人が、白人労働者の保護を目的とした最初の人種差別法「鉱山労働法」が制定され、白人には高級職種と熟練労働を、白人以外には低賃金職種と非熟練労働をあてがい、鉱山での白人と黒人の賃金差別を合法化した。

 

 

1948年にアパルトヘイトが国家の基本政策として確立。

 

流れとしては、、

 

イギリスの植民地になる

イギリスは金やダイヤモンドが眠っている鉱山を獲得

黒人に低賃金で働いてもらおう

人口の9割以上が黒人のため、何が起こるかわからない、いつ政治的主導権を握られるかわからない

選挙権を奪って、日常生活まで制限しよう

 

<結果>

黒人に政治的主導権を握られる心配もない

低賃金労働者を確保

黒人居住区は独立国として扱うため予算が節約できる

 

 

つまりアパルトヘイト政策の目的は

白人が政治的・経済的な権益を独占し、黒人を低賃金労働者として利用することだったようです。

 

1961年に、英連邦から脱退し、南アフリカ共和国として正式に独立したあたりで、アパルトヘイト政策はさらに強まっていきます。

 

他の国々はアパルトヘイトを批判していましたが、当時の世界経済の背景には冷戦が繰り広げられており、西側諸国にとって南アフリカレアメタルの独占産出国であり、南アフリカから購入できなければ、敵国のソ連から購入せざるを得ない状況にありました。

 

そのためアパルトヘイトを非難するための経済制裁を発することが出来ず、南アフリカ政府はアパルトヘイト政策を継続できていました。ところが1989年に冷戦が終結したことにより旧東側諸国からレアメタルが容易に輸入できるようになり、国際社会における南アフリカの立場が弱まり、欧米などから経済制裁を受けたことがアパルトヘイト撤廃に繋がっていきました。

 

その後

1991年に全てのアパルトヘイト関連法案が廃止され
1994年に初の全人種参加の大統領選挙でネルソン・マンデラ氏が圧勝し、大統領に当選しました。

 

差別自体は約80年続いていたことになります。

 

もし冷戦が終結せず、旧東側諸国との経済交流が行えない状況だったら、今でもアパルトヘイト政策は続いてたかもしれません。

 

こうやってデータや歴史を振り返ってみると、廃止後20年経っているとはいえ、現地を訪れてみるとアパルトヘイトの爪痕を何か感じるものがありそうな気がしてきました。

 

はやく現状をこの目で確かめたいです。