Ritsu Otsukaのブログ

留学前の下調べと留学中の記録です

アパルトヘイト

こんにちは。

前回の記事でアパルトヘイトという政策が出てきました。

その名前やだいたいどんな政策かというのは理解していましたが、撤廃後20年経った現在の南アフリカ経済にもその影響が残っているなんて全く知りませんでした。。

今日はそのアパルトヘイト政策について書いていきます。

アパルトヘイトとはアフリカーンス語で「隔離」を意味する言葉で、当時南アフリカの16%を占めていた白人が残りの84%の非白人を人種に基づいて差別した政策です。

簡単にまとめてみると


・人口登録 
すべての南アフリカ人を白人、カラード(混血)、インド人、アフリカ人という4つの「人種」に分類した。

 

・雑婚・恋愛禁止 
人種間の結婚、恋愛関係になること、性交渉を禁止した。

 

・居住区域 
都市地域を厳格に分割し、人種別の居住区を指定。特に黒人は産業地盤の乏しい限られた地域に押し込められた。黒人居住区は全く別の独立国として扱われた。

 

・公共施設の分離 
公園、海水浴場、公衆トイレ、レストラン、ホテル、エレベーター、バス、列車、学校など、あらゆる公的な場所に「白人専用」と「非白人専用」に分離され、それぞれ掲示がかけられた。違反した黒人は逮捕。

・選挙権
1956年にカラードの選挙権はカラード代表議員を選出するだけのものになり、1970年にはカラード代表議席と黒人代表議席(議員は白人に限定)すら廃止され選挙権は白人だけのものに。

・就業
黒人は移民労働者として扱われ、非技能労働者の地位に押し込まれていた。黒人は白人が経営する農園や工場で働き、1970年の給料において平均して白人の工業労働者は黒人の6倍、白人鉱業労働者は黒人の21倍にまでなっていた。
(これが現在技能労働者が慢性的に不足している原因)

・教育
黒人に義務教育はなく、一人当たりの白人生徒の教育予算は、黒人生徒の10倍程度。
アパルトヘイト以前は、ウィットウォーターズラント大学やケープタウン大学ナタール大学では白人と黒人は共学であったが、1959年より白人と黒人の共学は禁止され、黒人は既存の大学に受け入れられなくなり、黒人専用の大学が設置された。


こうした方針は

南アフリカにはたくさんの民族が住んでいて、それぞれ違う伝統や文化、言語を持っている。それぞれの民族が独自に発展すべきだ。アパルトヘイトは差別ではなく、分離発展である」

という多文化主義による合理的な政策であると主張されていたようです。

 

また明日、詳しく書いていきます。